「相沢さん。起きてください」

抑揚の無い声が脳内に響き、相沢は覚醒した。眠ってしまった失態に舌打ちをする。

窓からのぞく空は、昨夜の狂宴など夢に思える程青い。

「……竜崎……?」

声はしたが姿が見えない。無理に首を限界までねじると、後方でかがみこむ竜崎が視界に入った。

「りゅ、竜崎?何を…している?」

「見てわかりませんか」

竜崎は相沢を拘束するテープを噛み切っていた。
白い歯を向いてテープを食い千切っていく様は妖怪めいていて、相沢は自分も喰われそうな 気分になる。テープは器用に縦一直線に千切られ、柱からほどけていった。

「意外と固くて…少々時間がかかりましたが。後は腕の拘束です」

相沢の背後に回り、巻かれたテープの端を見つけると、竜崎はそれを歯でめくりあげて咥え、 一気に解く。その早業に相沢は呆然とされるがままになっていた。

「ちょっと腕の血の気が失せていますが、動くでしょう。さあ、私の拘束を解いて下さい」

相沢は無言で指示に従った。縛られ、拳を固め続け、かたくなった指が震える。
とても竜崎の様に簡単にはいかない。だが、なんとか無骨な指をテープの端に掛ける事に成功し、 血が止まって尚更白くなっている竜崎の腕を解放した。
竜崎が数回ぶらぶらと両手を振る。

「相沢さんもどうぞ。血が流れます」

茶菓子を勧める様な口調で同じ動作を促した。相沢も黙って両手を振る。途端に熱い血が流れ、 ぴりりとした痺れを感じた。塞き止められていた流れが一気に解放され、その流れに乗る様に 相沢が口を開いた。

「…いつから起きていたんだ」

「眠りましたよ。3時間ほど。眠りすぎた位です。そろそろワタリが来てしまいます」

相沢は質問を変えた。

「いつから、薬は切れていた?緊急信号を出したのはいつだ?」

「その前にジャケットとズボンを貸して下さい。私丸裸です救助が来た時かっこわるいです」

「…あんたにズボン貸してパンツ一丁の俺もかっこ悪いだろう…」

いつもの竜崎だ。相沢は思った。とぼけたふりをして人を煙に巻く。
だが、どうしても真実が聞きたかった。いや、そうではない。期待している答えが聞きたいのだ。 嫌な予感が相沢を襲う。竜崎は久々の親指の感触を確かめる様に唇を弄りながら、相沢を見据えた。


「相沢さんの上に乗った時はもう薬の効果は切れていました」


やはり。嫌な予感というものは往々にして当たるものだ。この男は、自らの意思で自分を飲み込んだのだ。 相沢は薬のせいだと思っていたかった。竜崎はあのとき意識などない様なものだったのだと。 あの時−−−−−2人は確かに淫行を楽しんでいた。最初は苦痛ではあったが、気づけば腰を振り、 快楽を貪りあっていた。

薬のせいならば。
竜崎の肌が桃色に色づき、爪の先ほどの乳首が硬く尖っていたのが薬のせいならば。 内部があんなにも蠢いて、自分を締め付けたのが薬のせいならば。
自分が薄暗い慾に眩んだのは薬のせいだと言えたのに。

言葉を失う相沢を気遣う事なく竜崎は続けた。

「私はある程度薬物には耐性があります。今回使われた薬は相当強く…他の人間なら、あと半日は 効果があったかもしれません。横になっているうちに私は平常心を取り戻し、彼らに怪しまれず あの状況であなたのバックルを押す方法を考えました」

それが、自分に跨る事か。手段を選ばぬ、これが「L」か。
背筋に冷たいものが走るのをのを相沢は知覚する。

「確かに…まるで気づかなかった」

快楽に夢中で。

「星の位置と気温でおおよその位置は把握しました。意外と遠いですよ…そろそろ助けも到着する頃 でしょう。扉の向こうの彼らは昼までどうせ起きない。待機の間熱いダージリンでも飲みたい所ですが、 まあそれは諦めましょう」

この細い体に収まっているとは思えない骨太の精神に、相沢は、敬意と強い嫌悪の両方を感じていた。 得体の知れない何かを動物は本能的に恐れる。竜崎は、相沢にはあまりにも計り知れなかった。

空気を叩く様な音が静けさを切り裂いた。小窓から救出のヘリが宙に舞うのが見える。

「では、迎えに朝の挨拶でもしましょうか」

のそりと竜崎が立ち上がる。相沢のジャケットは竜崎には大きすぎ、細い体を更に華奢に感じさせた。
だが、その内部でこちらを悠然と眺める精神は−−−−−−

ひどい嫌悪を感じているはずなのに、胸に湧き上がる熱さを相沢は理解できない。
その熱さを打ち消すかの様に、冷たい視線を竜崎に向けるしかできない。
普段よりも竜崎が多弁だった事に、竜崎への奇妙な感情に支配されていた相沢は気づかなかった。

「あんたは……こういう事、慣れてるのか……?」

窓から差し込む光がやけに眩しい。竜崎の髪の輪郭が光るのを相沢は見ていた。

「拉致監禁は初めてではありません」

竜崎は振り向かない。

「い、いや、その… … …すまん忘れてくれ」


「初めてです」


外と繋がる鉄の扉が焼き切られた。
途端差し込む閃光が相沢の目を貫く。瞬間目を閉じ、ゆっくり瞼を開くとまばゆい朝の光に包まれた 竜崎と、仲間がこちらを向いて立っていた。
「竜崎!!」
「相沢さん!!無事ですか!!よかった〜!!」

仲間達が相沢に駆け寄る。開いた扉から新鮮な空気が舞い込み、ワタリがポットからお茶を注ぎ、竜崎に渡す。 朝だ。相沢は思った。きらきらと舞う埃が竜崎を取り囲み、逆光に照らされた髪が柔らかく揺れている。

悪夢は終わったのだ。

そう思うと、相沢は小鳥の声に導かれる様に、
よろめく足で光の中へ踏み出していった。





ヘリは上空高く飛び立ち、山々の緑を見下ろしていた。
相沢は座席に深くもたれて窓を覗き、ただそれを眺めていた。

「彼らは監禁罪・暴行罪に問われます。余罪もある様ですし当分外に出られる事はないでしょう」

竜崎が語る。相沢は答えない。

「相沢さん?」

不思議そうに竜崎が相沢の瞳を覗き込んだ。相沢は顔をそむける。

いざ日常に帰ってみると、逆にあの悪夢が夢ではない事を思い知る。横に座る竜崎の貧相な体から 立ち上る、昨日の汗の匂い。覗き込まれた時瞬間見てしまった鎖骨が、唇が、昨日の夜自分の上で揺れて甘く鳴いていた 事実を思い出させた。

この男はこんなにまで慾情を煽る肢体をしていたか?散々に感じた余韻がまだ竜崎の中に残っているのか?

違う。

違う。

相沢はわかっていた。


自分が竜崎という男に捕らわれたのだ。

この淫靡にうねる腰に、しどけなく濡れる唇に、その身体を統べる精神に。

これは恋ではない。

ただの慾だ。

恋ではない。

「恵利子… 由美……… 恵利子……………」

相沢は右手で両瞼を覆い、愛する家族の名を呼んだ。

「はやくお会いしたいでしょうね。」

感情の篭らない声で竜崎が言う。もう何もしゃべるな。自分に優しさを向けるな。相沢は声を出さず 叫び続けた。自分も二度と竜崎の心に踏み入ろうとはしない。優しさなど与えてみようとは思わない。 これから先、ずっと自分は憎まれ役でいい。これまでもそうであった様に。

相沢は窓の外に視線を落す。木々の緑はまだ若く、これから盛大に萌えるのだろう。

「どこかで春が…」

思考せずにすむ様、相沢がまた覚えたての童謡を口ずさんだ。


どこかで雲雀が 啼いている
どこかで芽の出る 音がする

山の三月 東風吹いて
どこかで「春」が うまれてる


「その唄なら私も知っています」

まだ掠れた声で竜崎が小さく輪唱する。
これが最後の、自分と竜崎が一体となっている時間だろう。
相沢は唄を終えるまで竜崎と視線を合わせなかった。
そして唄が少しでも長く続けばいい、と思っていた。


もうすぐ春。



夜神月が捜査本部に招かれるのはもう少し後になる。



end








相沢さん、本当は竜崎に好意を抱いてただろう?という話。
お互い不器用なんですね、という話。
まあ竜崎は不器用通り越して変人なんですが、
相沢さんに腕つかまれてカミカミだったり膝つかんで震えたり、
「相沢さんみたいな人好きですけどね」の一連のあたりとか、
そういう、化け物が人間らしさを見せた!て感じが私の竜崎ツボのひとつです。
狼少年みたく、ちらっと見せる本音も、すべて煙に巻くための言葉だと
思われて誰一人本気にしてないといいです。
それで傷ついてる竜崎も自分が傷ついてるなんてことに
まるで気が付いてないといいです。

それを癒すのが松田だ!!

あ、これ相Lだったのに…。